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千葉地方裁判所 平成4年(ワ)402号 判決 1998年4月27日

原告

曽我健太

右法定代理人親権者父

曽我啓二

同母

曽我幸子

原告

曽我啓二

曽我幸子

右原告ら訴訟代理人弁護士

高橋馨

被告

田中一静

右訴訟代理人弁護士

須田清

内藤寿彦

高木孝

右訴訟復代理人弁護士

園部洋士

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告曽我健太に対し、金九〇〇〇万円、同曽我啓二及び同曽我幸子に対し、各金五〇〇万円並びに右各金員に対する昭和六三年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、双胎において重症の新生児仮死の状態で出生し、脳性麻痺等の後遺障害を負った男児とその父母が、医師である被告に対し、右後遺障害は被告の診療行為上の過失によるものであるとして、不法行為に基づく損害賠償を求めた事件である。

二  前提となる事実(1及び2(一)、(二)については争いがない。)

1  当事者

(一) 原告曽我健太(以下「原告健太」という。)は、昭和六三年一〇月一二日に双胎で出生した第二子の男児であり、原告曽我啓二(以下「原告啓二」という。)は原告健太の父、同曽我幸子(以下「原告幸子」という。)は、原告健太の母である。

(二) 被告は、前記住所地において峰の坂産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を開設し、経営する医師である。

2  分娩の概括的経緯

(一) 原告幸子は、双胎の出産のため、昭和六三年五月七日、被告医院への通院を始め、その後、同年九月五日、同月二二日、一〇月一日、同月八日に被告の診察を受けた。

(二) 原告幸子は、昭和六三年一〇月一二日、被告医院に入院し(ただし、その入院の時刻については当事者間に争いがある。)、同日午後三時五八分に第一子である長男曽我勇太(以下「勇太」という。)を経膣分娩によって娩出したが、第二子である原告健太は低酸素症による仮死状態となり、同日午後四時一八分に、経膣分娩によって、仮死状態のまま娩出された(被告が勇太の出産に立ち会わなかったことについては争いがないが、原告健太の出産に立ち会っていたかどうかについては当事者間に争いがある。)。

(三) 勇太は、出産時体重二四八〇グラムであった。また原告健太は、出産時体重二一三八グラム、アプガールスコア(新生児の状態を表す点数法)一点であり、娩出五分後には同スコア四点にまで回復した(乙三、被告本人)。

(四) 被告は、同日午後五時四七分、原告健太を国立西埼玉中央病院(以下「国立病院」という。)に転送すべく、救急車の出動を要請し、同日午後六時一二分、原告健太は、同病院に搬送された(甲一五、一八の1、二〇)。

(五) 原告健太は、国立病院で蘇生術を受けた後同病院に入院し、平成元年一月二一日、同病院から船橋市立医療センター小児科に転送され引き続き治療を受けたが、低酸素状態による脳性麻痺等の後遺障害が残り(以下「本件結果」という。)、右麻痺による上肢機能障害及び移動機能障害のため身体障害者等級表一級第一種の認定を受けた(甲四、一六ないし二〇、乙四、証人原朋邦)。

三  争点

1  被告の責任の有無

(原告らの主張)

(一) 待機義務及び継続的監視義務違反

原告幸子は、昭和六三年一〇月一二日午前七時ころ破水し、同日午前八時ころ被告医院に到着して直ちに入院した。本件のような双胎の場合、分娩には多くの異常を伴いやすく、厳重な監視が必要である。すなわち、双胎においては、胎盤早期剥離が多く、胎位の異常等の危険性も高い。そのため、双胎においては低酸素状態による胎児仮死を生じやすい。そして、分娩中における胎児仮死の診断は、通常、分娩監視装置による陣痛と胎児心拍数の変化から判定する。したがって、医師は、出産に際し、胎児及び母体に異常がないかどうかを分娩監視装置により継続的に監視し、異常を発見したら直ちに適切な処置をとることができるように待機して態勢を備えておく義務がある。

しかるに、被告は、前記出産日の午後、原告幸子の分娩が予想されたにもかかわらず、浦和市所在の埼玉県医師会における子宮癌の研究会に出席するため外出した。そのため、被告は、勇太及び原告健太の各分娩時には帰院せず、担当医師として要求される待機義務を怠り、また、分娩監視装置による継続的監視義務を怠った。

被告が、被告医院内に待機して分娩監視装置による継続的監視を行っていれば、原告健太の分娩の際低酸素状態が生じたとしても、状況に応じて帝王切開、吸引分娩、鉗子分娩等の急速遂娩術を施行することにより原告健太を早期に救出して本件結果を回避することができた。

したがって、被告には、右待機義務及び継続的監視義務を怠った過失がある。

(二) 帝王切開術、鉗子または吸引分娩術の施行義務

原告健太は、分娩の直前に至って低酸素状態に陥り、それは胎児仮死となって現われた。胎児仮死に陥った場合には、子宮口開大の程度に応じて、帝王切開術か、鉗子または吸引分娩術といった急速遂娩術を施行して、原告健太をできるだけ早期に低酸素状態から救出しなければならず、また、本件ではそれが可能であったにもかかわらず、被告は、これを怠り、何らの急速遂娩も施さなかった。

被告が、右帝王切開等の急速遂娩術を行い、仮死状態に陥った原告健太を早期に救出していれば、本件結果を回避することができた。

したがって、被告には、適切な急速遂娩術の実施を怠った過失がある。

(三) 蘇生義務違反

被告は、原告健太が低酸素状態に陥った時点で蘇生の準備を行い、娩出後速やかに蘇生術を施すことによって、本件結果を防止すべき義務があり、具体的には、被告自身が器官内挿管等蘇生のための適切な治療を施し、又は、直ちに適当な設備・技術を有する施設に転送するなどの措置をとるべき義務がある。

しかるに、被告は、原告健太の分娩当時在院しなかったため速やかな蘇生術を施すことができず、器官内挿管等の適切な治療をすることを怠り、さらに、被告が国立病院に転送のため救急車の出動を要請したのは原告健太の娩出から一時間三〇分以上も経過した午後五時四七分であって、被告は、前記転送の義務をも怠った。

被告が速やかに原告健太を国立病院に搬送していれば、少なくとも午後五時前には同病院での蘇生術を受けて、本件結果は回避できた。

したがって、被告には、右蘇生義務を怠った過失がある。

(四) 説明義務違反

被告は、双胎における分娩の危険性及び分娩方法の選択肢としての予定帝王切開について説明する義務がある。

すなわち、分娩方法には予定帝王切開と経膣分娩の選択肢があることから、被告は、信義則上(患者の治療行為の選択についての自己決定権という観点から)各治療方法の有無、その長所及び危険性等を予め説明する義務がある。しかも、双胎の本件では、胎盤早期剥離の危険性が高いことから、その必要性は一層強く、遅くとも、原告幸子が出産前に最後に被告の診察を受けた昭和六三年一〇月八日には、右説明をなすべきであった。しかるに、被告はこれを怠り、原告幸子に対し、予定帝王切開についての説明をしなかった。

原告幸子は、被告から右説明を受けていれば、当然予定帝王切開を選択していたのであり、そうすれば本件結果は回避できたものである。

したがって、被告には、右説明義務を怠った過失がある。

(五) 原告健太は、分娩過程において低酸素状態に陥ったことにより、脳性麻痺になったが、被告が右診療上の各注意義務を尽くしていれば、原告健太を低酸素状態から救出して、本件結果を回避できたのである。

(被告の主張)

(一) 原告らの主張(一)について

被告は、原告幸子が入院することを全く知らずに、出産日の昭和六三年一〇月一二日午後一時三〇分から四〇分ころの間に、同日午後三時から開会されることになっていた浦和市での埼玉県医師会の子宮癌委員会に出席するため、被告医院と接している自宅を出発した。

被告が出発する以前に原告幸子が入院していた事実はなく、外来でも受診しておらず、入院の連絡もなかった。原告幸子が被告医院に入院したのは、被告が自宅を出発した午後一時三〇分ないし四〇分から午後二時の間である。

そして同日午後二時四五分ころ、埼玉県医師会に到着する直前に、被告はポケットベルで呼び出され、すぐに公衆電話で連絡をとって、原告幸子の入院と陣痛が起こっている旨の報告を受け、直ちに被告医院に戻り、午後四時五分ころ到着したところ、すでに第一子勇太は助産婦らによって無事娩出されていた。

その後、原告健太の分娩まで約一三分間、被告及び助産婦らは、当時の産婦人科の医療水準及び助産婦学の臨床水準に従って全力を尽くして分娩介助を遂行した。

したがって、被告が原告幸子の入院を知り、かつ双胎の分娩を知りながらあえて外出したという事実はなく、被告に待機義務違反はない。

また、分娩に際して分娩監視装置を必ず使用しなければならないという産科臨床上の水準はない。産科医院において分娩監視装置を設置するか、仮に設置したとしても個別具体的な分娩において分娩監視装置を使用するかどうかは、各産科医院及び分娩担当医師の裁量によるのである。

分娩監視装置の主たる使用目的は、胎児心音の異常性の診断にあるが、本件では、原告健太の分娩に立ち合った被告及び助産婦らはドップラー法を用いて胎児心音を聴取しており、何ら落ち度はない。

仮に、分娩監視装置を使用していたとしても、本件結果は回避できなかった。すなわち、本件では、第一子分娩後の子宮内圧の低下による胎盤早期剥離が原因と考えられるが、これを事前に予測することは不可能であり、分娩監視装置を使用していたからといって、胎盤早期剥離の発生を予防、回避できるものではない。

(二) 原告らの主張(二)について

双胎の場合、第一子を経膣分娩で行い、第二子を帝王切開分娩で行うという臨床水準はない。

本件において第二子に対して帝王切開術を実施することは、その医学的適応もなく、また、現実に帝王切開分娩に着手するまでには三〇分以上の時間が必要であって、原告健太が午後四時一八分には経膣分娩により娩出されていることに鑑みれば、本件で帝王切開術を行うことは不可能である。

鉗子または吸引分娩術についても、本件のように児頭が骨盤内に陥入していない段階では禁忌とされており、そのような分娩方法をとる医学的適応はない。

また、原告健太の経膣分娩において、被告が行った陣痛促進剤(アトニン)の投与による子宮収縮促進措置は、第一子分娩直後で子宮口開大後の場合の処置として適切な処置である。

(三) 原告らの主張(三)について

被告は、麻酔医の認定医であり、蘇生術については、一般の産婦人科開業医の臨床水準以上の技術を有している医師である。

本件分娩においても、被告は、原告健太娩出後、先ず器官内挿管を実施したが、チューブ固定が満足できる状態ではなかったので、再び酸素と連結したマスクによる人工呼吸器を使用して蘇生を図り、現実に蘇生の結果を得た。

その後、被告は、原告健太の受入れ病院の承諾を得るため、各医療機関に架電し、その結果、国立病院から受入れの承諾を得て、昭和六三年一〇月一二日午後五時四七分に一一九番通報をしたのである。原告健太の分娩から一一九番通報までに約一時間三〇分の時間を要したのは事実であるが、被告がとった右蘇生及び転送処置に遅滞はない。

原告健太は、分娩の時点で既に胎盤早期剥離に伴う低酸素状態により脳に不可逆的ダメージを受けており、予後自体も胎児死亡率七〇パーセントないし九〇パーセントと極めて悪いものであったが、被告の右処置により死亡の結果を回避できたのである。

したがって、被告には、蘇生義務違反の過失はない。

(四) 原告らの主張(四)について

(1) 時機に後れた攻撃方法

原告らの説明義務違反の主張は、平成四年六月八日の第一回口頭弁論から、主張、反論、証拠調べを繰り返し、鑑定人の証人尋問を得た後の段階でなされたものであり、時機に後れた攻撃方法である。

(2) 被告には、予定帝王切開を説明すべき義務はない。

現在、あるいは昭和六三年一〇月の時点で、他に合併症のない双胎を胎盤早期剥離の予防という適応で予防的帝王切開を行うべき根拠はなく、被告には、原告幸子に対し、予定帝王切開について予め説明すべき義務はない。また、本件結果の原因となった胎盤早期剥離は、多くの場合突発的に生じ、速やかに進行するためこれを予見・防止することは困難であり、本件においても第一子が分娩された午後三時五八分より前の段階で胎盤早期剥離の発生を疑うべき異常はなかったのであるから、被告には、本件出産に際して、胎盤早期剥離を予知して、予定帝王切開について説明すべき義務もない。

仮に、原告主張のように患者が予定帝王切開を選択することに合理性があるとしても、その選択については、正産期の時期になり、胎児の発育具合を見た上で説明すべきものであり、本件では、患者が最後に受診した昭和六三年一〇月八日までの時点で予定帝王切開まで前提に入れた説明をすべき義務はなかった。

2  損害

(原告らの主張)

(一) 原告健太の損害

(1) 後遺症による逸失利益

三四五六万二五六九円

原告健太は、本件によりその労働能力を就労可能な六七歳まで一〇〇パーセント喪失した。昭和六三年度賃金センサスによれば、男子労働者の産業計・企業規模計平均年収額は、金四五五万一〇〇〇円である。よって、右平均年収額をもとに、一八歳から就労可能な六七歳までの逸失利益を、中間利息をライプニッツ方式により控除して算出すると右金額になる。

(2) 付添看護費

三九一一万六一三七円

原告健太は、生涯にわたって他人の介護を要し、その介護のための費用は一日当たり金五五〇〇円である。よって、原告健太に必要な将来の付添看護費用を、平均余命75.54年をもとに、中間利息をライプニッツ方式により控除して算出すると右金額になる。

(3) 後遺障害慰謝料 二〇〇〇万円

(4) 弁護士費用 九三〇万円

(5) 合計 一億〇二九七万八七〇六円

(二) 原告啓二、同幸子の損害

(1) 原告啓二、同幸子は、原告健太の両親であり、被告の過失により苦悩の淵に突き落とされ、その苦しみは、右両名の命の続く限り継続するものである。

また、被告は、原告幸子の入院後、その診察等を看護職員に任せきりにし、本件出産に至るまで一度も自ら診察することはなかった。しかも、本件出産にも被告は立ち合っておらず、速やかに蘇生術を施すこともしなかった。さらに、被告は、事前の説明義務も果たさなかった。右原告らは、このように被告から期待される治療を受けることができなかったこと自体についても大きな精神的苦痛を負った。右苦痛に対する慰謝料は、それぞれ金五〇〇万円を下らない。

(2) 弁護士費用 各五〇万円

(被告)

原告ら主張の損害は争う。

第三  争点に対する判断

一  認定した事実

1  本件出産当時の被告医院の勤務体制

証拠(甲六、乙三、証人根本トシ子、同塚本眞美、被告本人)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 昭和六三年一〇月当時、被告医院には、医師である被告の他、助産婦、看護婦、准看護婦等約一〇名、事務職二名の職員が勤務していた。

(二) 被告医院の診療時間は、午前八時三〇分から午後五時三〇分であり、日曜、祭日、水曜と土曜の午後は休診であった。

(三) 本件出産日の昭和六三年一〇月一二日(水曜日)には、被告、事務職(受付)の村田孝江、同森弘之、助産婦の根本トシ子、看護婦(准看護婦、看護助手を含む)の田中清美、五木田美江、塚本(急性矢田)眞美、牧内まゆみの他、斉藤栄子、寺沢せつ子、粕谷とみ子が勤務していた。その体制は次のとおりである。

(1) 看護婦及び助産婦は三交替制で勤務しており、日勤が午前八時ころから午後四時三〇分まで、準夜勤が午後二時から午後八時まで、夜勤(当直)が午後八時から翌朝八時三〇分までとなっていた。

(2) 本件出産日の前日一〇月一一日夜八時から一二日午前八時三〇分までの当直は、補助看護婦(助産婦の補助の免許を有している看護婦)の粕谷とみ子であった。

(3) 被告は、午前八時三〇分から午後〇時三〇分ころまで外来の診察を行った後、午後一時三〇分ころ、医師会の委員会出席のため被告医院を出発した。

(4) 受付の村田孝江は、午前八時三〇分ころから午後〇時三〇分ころまでと午後三時から午後五時三〇分まで勤務し、同森弘之は、午前八時三〇分ころから午後〇時三〇分ころまでと午後二時から午後五時三〇分まで勤務した。

(5) 五木田美江、斉藤栄子は、午前八時三〇分ころから午後〇時三〇分ころまで、根本トシ子(助産婦)、牧内まゆみは、午後二時ころから午後八時ころまで、塚本眞美、寺沢せつ子は、午前八時三〇分ころから午後四時三〇分ころまで、それぞれ勤務した。

(6) 被告の妻である看護婦田中晴美は、常時被告医院で勤務するのではなく、時間外の深夜等人手がないときに介助するため被告医院に出ていた。

(7) 原告幸子の分娩に立ち会った助産婦は、看護婦の根本トシ子、田中晴美、牧内まゆみ、寺沢せつ子、塚本眞美であった。

2  原告幸子の入院の経過

(一) 証拠(甲一、二、五、九の1、一一、一三、一四、乙二、三、七、証人白井千春、同根本トシ子、同塚本眞美、被告本人、原告幸子、同啓二各本人、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告幸子(昭和三八年二月二七日生)は、昭和六三年二月ころ、初めて妊娠し、同年三月二四日から、千葉県船橋市習志野台一丁目五番一八号所在の松村クリニックに通院を始め、その後の診察で、双生児を妊娠していることが判明した。原告幸子は、埼玉県入間郡三芳町所在の実家で出産を迎えることとし、双子出産ということもあり、防衛医大病院を受診したが、同病院で被告医院を紹介され、同年五月七日、初めて被告の診察を受け、出産予定日は同年一〇月二六日と診断された。

その後、原告幸子は、同年九月五日、九月二二日、一〇月一日、一〇月八日にそれぞれ被告医院で被告の診察を受けたが、順調に経過して、妊娠中毒症等の異常もなく、双胎であることのほかには、何ら問題は存しなかった。そして、一〇月八日の時点では、三七週と三日となり、いつ陣痛が起きてもおかしくない状態であった。

(2) 原告幸子は、昭和六三年一〇月一二日午前七時ころ、前記の実家で目覚めて、布団から起き上がろうとした瞬間破水感を覚えた(ただし、この時点で陣痛は起きていない)。そこで、直ちに母白井千春(以下「千春」という。)が、電話で被告医院に連絡したところ、応対した女性から「すぐ来て下さい。受付で双子の曽我と言って下さい。」と言われたため、原告幸子は、千春の運転する自動車で被告医院に向かった。なお、千春は、出発直前に、原告啓二に電話をして、これから被告医院に行く旨連絡した。

(3) 原告幸子と千春は、午前八時ころ、被告医院に到着し、原告幸子は看護婦と思われる女性に連れられて一階の診察室と思われる部屋に行き、右部屋で浣腸や腹部の剃毛等分娩準備の処置を受けた後、しばらくの間、畳敷の待期室で点滴を受け、その後二階の入院室に行き、そこで待機した。一方、千春は、すぐには出産が始まらないことから、一旦帰宅した。原告幸子は、昼頃から陣痛が始まり、その間隔は当初一〇分毎であったが、午後二時ころには一、二分毎となったため、看護婦に告げたところ、一階の手術分娩室に連れて行かれ、分娩台に寝かされて、いきみ始めた(午後二時一〇分ころには、原告幸子の子宮口は三指弱開大となり、羊水の流出が見られた。)。

(二) 以上の事実が認められるところ、被告は、原告幸子が被告医院に入院したのは、被告が浦和市で開催された医師会の子宮癌委員会に出席するため被告医院を出発した後の午後一時三〇分から午後二時ころの間であり、午前八時ころに原告幸子が被告医院を受診した事実はないと主張し、被告医院の職員らもこれと同様の供述をし、また陳述書を作成している(乙八ないし一三の各1、2、証人根本トシ子、同塚本眞美)。

しかしながら、被告医院に赴いてから、一階の待期室、次いで二階の入院室において待機している際の状況についての原告幸子の供述は詳細かつ具体的であり、また、千春は、被告医院に向けて出発する直前に、原告啓二に電話をして、原告幸子を連れて被告医院に赴く旨知らせたと証言しているが、これに符合するように、普段は午前七時すぎには会社に向けて家を出る原告啓二が、本件出産日である一〇月一二日には特別有給休暇(結婚、出産等の場合に使用する)をとって会社には出勤していないことが認められるのである(甲九の1、原告啓二本人)。そして、仮に原告幸子の入院が被告主張のように午後一時三〇分ころから午後二時ころまでの間であるとすると、この時点では、すでに原告幸子は陣痛間隔が一、二分で子宮口が三指弱開大となり、羊水の流出が見られ(乙三、証人根本トシ子)、いつ分娩が始まってもおかしくない状態となっていたものであるが、初産の原告幸子がそのような状態に達するまで被告医院に赴かないことは考えがたく、また当然入院に付添っているはずの千春が自宅にいたこと(証人白井千春)も不合理である。

さらにまた、入院カルテ(乙三)には「AM11:15 腹緊(+)陣痛7分〜8分毎 矢田」の記載があり、それに続いて「PM2 KHT(胎児心音)良好 1〜2分間隔 根本」、「PM2:10 子宮口3指弱開大 羊水の流出あり 根本」の記載があることから、午前一一時一五分の時点において准看護婦の塚本が原告幸子を診察しているものと考えられる。この点、右塚本は、右の記載は、原告幸子が分娩室に入室してから聞いたことを、出産が終わった後、根本のした記載の上に追加して記入したと証言し、その証拠として、仮に自ら診察したのであれば、胎児心音も聴取しその結果を腹緊及び陣痛間隔の状況とともにカルテに記載しているはずであると述べているのであるが、しかしながら、分娩室に入室した原告幸子が、何故午前一一時一五分という特定の時点を取り上げて、腹緊と陣痛間隔について述べるのか疑問なうえに、証人根本トシ子は、同人がカルテに前記の記載をしたときには、既に塚本による記載はなされていたと証言しており、また、看護婦等が胎児心音を聴取しても、必ずしもその結果が全部カルテに記載されているわけでもなく(乙三、証人根本トシ子、弁論の全趣旨)、前記塚本の証言は信用できない。

また、被告本人は、入院する患者については、必ず被告が診察するが、本件出産日に原告幸子を診察したことはないとも供述しているが、原告幸子が、被告医院の診療開始時間(すなわち被告の診察開始時間)の午前八時三〇分以前に到着して、診察の始っていない(したがって、まだ被告のいない)診察室を通って一階の待期室に入り、その後何らかの事情で診察を受けないまま二階の入院室での待機を指示され、当日被告は、二階の入院室を回診していないことから、結局被告の診察を受けることがなかったものと考えることもでき、被告の右供述も前記認定を妨げるものではない。

以上によれば、前記認定したとおり、原告幸子は、本件出産日である昭和六三年一〇月一二日午前八時ころに被告医院に入院したものと認めるのが相当であって、被告医院の職員らのこれに反する供述や陳述書はいずれも信用できない。

3  原告健太の出産と蘇生の経過について

(一) 証拠(甲五、一三ないし一五、一七、一八の1、2、一九、二〇、乙三ないし五、証人白井千春、同根本トシ子、同塚本眞美、同原朋邦、被告本人、原告幸子及び同啓二各本人)によれば、次の各事実が認められる。

(1) 本件出産日の午後、被告医院は休診であり、被告は、原告幸子の入院の事実を知らないまま、午後三時から浦和市で開催予定の医師会の委員会に出席するため、午後一時三〇分ころ被告医院を出発した。

(2) そのため、助産婦の根本トシ子が原告幸子の分娩の介助に当たり、午後二時一〇分ころ、子宮口が三指弱開大になり、羊水の流出もみられたので、被告のポケットベルに連絡を取り、午後二時四五分ころ、被告は原告幸子の分娩が始まっているとの報告を受け、委員会への出席を取り止めて、途中から急ぎ被告医院に戻った。

(3) 被告医院では、被告が帰院する前の午後三時五八分に第一子の勇太が経膣分娩で異常なく娩出し、根本トシ子が分娩室の横で勇太を沐浴中の遅くとも午後四時五分ころまでに被告が到着し、直ちに第二子である原告健太の分娩介助に当たったが、児頭がなかなか骨盤内に嵌入せず、午後四時七、八分ころには、ドップラー装置で聴取していた胎児心音がそれまでよりも遅くなり、胎児徐脈が認められたため、被告は原告幸子の鼻腔から酸素吸入をすると共に、陣痛を促進させるためにアトニン五単位と五パーセントのブドウ糖五〇〇cc、二パーセントの塩化カルシウム二〇ccの点滴を始め、間もなくして、午後四時一八分に原告健太を頭位で経膣分娩させた。

(4) 原告健太は仮死状態で娩出し、これと同時に胎盤の娩出と約四〇〇ccの出血があった。娩出直後の原告健太はアプガールスコアが一点で心臓の拍動が聞こえるだけといった重篤な状態であったが、被告は蘇生のために、テラプチクを三分の一アンプル筋肉注射するとともに、保温とマウスバッグによる人工呼吸(酸素吸入)、心臓マッサージを行い、その結果、娩出から五分後にはアプガールスコアが四点にまで回復した。

(5) その後、被告は原告健太を保育器に入れて保温を図りつつ人工呼吸(酸素吸入)を続け、より設備や態勢の整った病院で治療を受けさせるべく、転院に備えて状態を落ち着かせながら、転院の引受先を捜し、国立病院の受諾を得て午後五時四七分に救急車の出動を要請し、被告も同行して午後六時一二分に国立病院に搬入され、同病院で緊急蘇生術(気管内挿管や輸血、輸液等)が施された。

(二) ところで、被告がどの時点で被告医院に戻って分娩室に入ったかについては当事者間で争いがあり、被告は、右に認定したように、遅くとも午後四時五分ころまでには帰院して分娩室に入り、原告健太の出産に立ち会ったと供述し、証人根本トシ子、同塚本眞美も同様の証言をしているのに対し、原告幸子は、被告が分娩室に姿を現したのは原告健太の出生後であって、原告健太を取り上げたのは助産婦であり、蘇生術は「先生」と呼ばれる女性が行い、帰院した被告がそれを引き継いだ旨供述している。

しかしながら、原告健太の出産及びその後の状況についての原告幸子の供述は、出産前の状況についての供述と比べて曖昧であって、原告幸子が初産であり、かつ双胎であったことにより、肉体的疲労が強く、精神的にも興奮状態にあったことから、医師や看護婦等がとった具体的処置、行動状況についての認識力、記憶力は通常の場合と比較してかなりの程度減退していたと考えられ、これに対して、カルテ(乙三)には、被告が帰院した後、原告健太の出産及びその後の蘇生に関してとった処置について、児頭が骨盤内に嵌入してこなかったことや陣痛促進剤の投与、娩出時の原告健太の状態や胎盤も同時に娩出され多量の出血のみられたこと、娩出直後の原告健太の蘇生のための薬剤投与や酸素吸入の方法なども交えて、極めて具体的詳細な記載がなされており、これは、被告が国立病院から戻った後に記入したものではあるが(被告本人)、被告が原告健太の出産に全く立ち合わなかったとすれば、かかる具体的詳細な記載はできないと考えられるうえ、右に記載された処置はいずれも実際に施された(その結果、原告幸子も原告健太も死亡という最悪の事態を免れた)ものと認められることからしても、前記認定したように被告は原告健太の出産に立ち会っていたものと認めることが相当である。

4  原告健太の障害及びその原因について

(一) 証拠(甲四、一六、一七、一八の1、2、一九、二一、乙二ないし四、一四、一五、鑑定の結果(以下「早川鑑定」という。)、証人原朋邦、同早川智、被告本人)によれば、原告健太には、現在、脳性麻痺(痙直型両麻痺)、知恵遅れ、てんかん、慢性腎機能障害等の障害があること、そして、これらの障害は、第一子勇太を午後三時五八分に良好な状態で出産し、この間胎児死亡の兆候といえるような異常はみられなかったものが、午後四時七分ころから原告健太に持続性の胎児徐脈(胎児心拍数の減少)が発生し、その分娩と同時に胎盤が娩出し、かつ、相当量の出血があったことなどからすれば、原告幸子が第一子を分娩した午後三時五八分から、右の胎児徐脈が原告健太にみられたころまでの間に、広範にわたって胎盤早期剥離が発生し、その後これが進行して、母体から胎児に対する酸素吸入が減少ないし途絶して、原告健太に失血性ショックと不可逆的重篤な低酸素状態が発生し、これが原因となったものと認められる。

(二) そして、証拠(乙一四ないし一六、早川鑑定、証人原朋邦、同早川智、被告本人)によれば、胎盤早期剥離は、母体死亡率一〇ないし二〇パーセント、児の死亡率七〇ないし九〇パーセントといった極めて危険性の高い疾患であり、その原因(誘因)としては、約三〇ないし五〇パーセントが妊娠中毒症の合併であるが、その他にも、腹部打撲、外傷、短臍帯等や、本件のように双胎それ自体が胎盤早期剥離を起こす原因となることもあること、双胎の場合には、単胎の場合と比較して胎盤早期剥離の発生率は高く、分娩前から分娩中のいずれの時期にも発生しうるが、第一子分娩後第二子分娩に至る間に子宮内圧の急激な減圧と子宮壁と胎盤のずれによって生じることが多いこと(但し、双胎において、第一子出生後に胎盤早期剥離を起こす確率は数パーセント以下である)、胎盤早期剥離は、分娩前(あるいは子宮口全開大前)においては、子宮の持続性の収縮、強い子宮の圧痛、血性羊水、胎児心音の徐脈化(あるいは消失)の症状が見られた場合に、超音波断層法によって診断が可能であるが、双胎における第一子分娩後の胎盤早期剥離のように典型的な症状を見ない場合には、診断は困難であること、また、胎盤早期剥離は多くの場合突発的に生じ、速やかに進行するためこれを予見、防止することは困難であり、対応としては、子宮口全開大前には緊急帝王切開の適応となり、子宮口全開大し胎児が骨盤出口部に下降嵌入している場合は吸引分娩や鉗子分娩の適応となることがそれぞれ認められる。

二  被告の責任の有無

そこで、以上の事実をもとに、被告の過失の有無について検討する。

1  待機義務及び継続的監視義務違反について

(一) 原告らは、被告は、原告幸子の分娩に備えて被告医院に在院し、分娩監視装置を用いて継続的かつ適切な分娩進行の監視(管理)を行うべきであったと主張する。

産科の臨床上、分娩介助に当たる医師としては、在院して、自ら直接患者の分娩進行の管理を行うか、自ら行わなくとも、助産婦・看護婦等に分娩監視を行わせ、異常が認められた場合、あるいは状況に応じて必要な指示をし、かつ、自ら立ち会うことができる態勢をとっておくべき義務があるというべきである。かかる義務は、予め胎児に異常所見が認められる場合や、本件の双胎のように合併症の危険が高いようなハイリスクの分娩を行う場合には、一層強く求められるのであり、通常の場合よりも特に厳重な分娩管理が必要と考えられる。

しかるに、被告が原告幸子の入院を知らないままに外出してしまったことは前記認定したとおりであって、ポケットベルによって連絡が取れる状態ではあったとしても、右に述べた義務に照らせば適当を欠いたものといわざるを得ない。

しかしながら、これも前述したとおり被告は第一子が午後三時五八分に出産して間もなくの午後四時五分ころまでには帰院して、直ちに原告健太の分娩介助に従事しており、また第一子の勇太の出産は異常なく終了していて胎盤早期剥離を疑わせるような兆候もなかったところ、その後突発的に胎盤早期剥離が起こって、被告は午後四時七、八分に、それに伴う胎児心音の異常を認めたのであるが、後述するとおり、その後の被告の対応に格別欠けるところはなく、またその内容や、胎盤早期剥離が突発的かつ広範に起きた状況に照らして、仮に第一子の分娩時から被告が立ち会っていたとしても、事態の推移や、対応、結果には変わりはなかったものと考えられることからすれば、本件結果の発生について被告に待機義務や分娩監視義務違反の過失があるということはできない。

(二) ところで、分娩監視の方法についてみると、胎児の心拍数の異常の有無は、胎児が酸素欠亡状態ないし低酸素状態(いわゆる新生児仮死)にあるか否かを判断する上での最も重要な所見であり、胎児の酸素欠亡状態ないし低酸素状態を疑うべき兆候としては、胎児心拍数の減少(いわゆる徐脈)が重視されるところ、胎児心拍数を把握するための方法としては、分娩監視装置によるほか、超音波ドップラー装置を用いた聴診の方法があり、分娩監視装置は、陣痛曲線と胎児心拍数の変化が同時に記録されるもので、胎児の心臓に当たる部分(胎児心拍数を測定するため)と子宮底(陣痛を測定するため)にトランスジューサーを装着して測定し、記録された図面を分析することにより胎児心拍数の異常の有無を継続的に監視するものであって、このようにある程度の時間継続固定した観察を予定していることから、移動性に欠けるのに対し、ドップラー装置は、探触子を母体腹壁に当てて、ドップラー音を聴取して胎児心拍数を測定するもので、記録はなされないものの、操作は分娩監視装置に比べて簡便で、移動性も高いものである(乙一五、一八、被告本人)。

これからすれば、分娩を継続的に監視し、胎児仮死の兆候を把握する上では、分娩監視装置の方が、より適当な方法と考えられ、したがって、その使用に支障のない限りは、分娩監視装置を用いて分娩前及び分娩中に継続的に胎児心拍数等を把握し、分娩経過の観察を行うのが望ましいといえるのではあるが、しかしながら、本件のような双胎の場合には、状況に応じて双方の胎児について心拍数を観察する必要性のあることを考慮すると、分娩監視装置を使用するよりも、移動性が高く操作も簡便なドップラー装置を用いる方が適当と考えることもできるのであって(双胎の場合にも使用可能な特別の分娩監視装置もあるが、まだ一部の大学病院等に設置されているだけで、一般的なものではない。)、いずれの装置を用いるかは医師の裁量に委ねられているものと解するのが相当であり、被告が原告健太の分娩にあたって分娩監視装置を用いずにドップラー装置を用いたからといって過失があるということはできない。

また、本件において、分娩監視装置を使用していたとしても、突発的に起きる胎盤早期剥離を事前に予測することは困難であって、この点からも分娩監視装置を用いなかったことをもって過失とすることはできない。

2  救出義務違反について

胎盤早期剥離によって胎児が低酸素状態に陥った場合、母体に酸素吸入を行っても胎児の蘇生にとって効果はなく、胎児を急速遂娩により可及的速やかに娩出して蘇生処置を施すことが必要である(早川鑑定)。

ところで、本件では、被告は急速遂娩術によらずに、経膣分娩の方法を採ったのであるが、急速遂娩術のうちの鉗子分娩、吸引分娩術については、児頭が骨盤出口部に下降嵌入していることがその適応の条件であって(早川鑑定)、児頭がなかなか下降しなかった本件ではその適応がなく、これらの方法をとらなかったことに問題はない。

次いで、帝王切開術については、一般に帝王切開術を施行する場合、施術を決定したとしても、皮膚消毒、麻酔等の準備や執刀時間を考慮すると、胎児の娩出に至るまでに三〇分以上の時間を費やさざるを得ず(早川鑑定、証人原朋邦、被告本人)、したがって、本件で、原告健太が娩出されたのが午後四時一八分であることからすると、第一子の娩出後から帝王切開を行って、これよりも早く原告健太を娩出させることは事実上不可能であり、結果的にみても、本件のように経膣分娩の方法によった方がより早く原告健太を母体外へ娩出させることができたものといえる。

さらに、被告が双胎による危険を予想して予め帝王切開を行うべく準備し、予定帝王切開の方法により勇太及び原告健太を娩出させるべきであったかどうかについて考えるに、後述のとおり、妊娠中毒症等の存しない本件のような場合には、双胎それ自体としては予定帝王切開の適応とはならず、しかも、出産直前まで、胎児の異常の発生を疑わせる所見は全く認められず、胎児仮死の兆候となる胎児徐脈が発生したのが勇太出生後のことであったことからすれば、被告が予定帝王切開を行うべきであり、あるいは、速やかに帝王切開ができる態勢をとっておくべきであったものとまでは認められない。したがって、この点でも被告には過失は認められない。

3  蘇生義務違反について

重症仮死の状態における新生児の蘇生には、一般に気管の開放と確保、酸素投与、刺激による呼吸誘発、人工換気、輸液によるアシドーシス(血中の酸と塩基の関係が、酸優位の状態になったもの)補正、心マッサージ(心停止の場合)等の処置が行われるところ、(早川鑑定)、原告健太出生後、被告は、マスクによる人工呼吸、心臓マッサージ、保育器による保温などの処置を行っており、実際、原告健太出生時に一点であったアプガールスコアが五分後には四点まで改善しており、妥当かつ有効な処置であったと認められる。なお、人工換気には、気管内挿管の方がマスクよりも有効性は高いものの、挿入が技術的に、あるいは、患者の解剖学的状態により困難なことも少なくないため、挿管に手間取るよりはマスクでも確実に人工呼吸を行う方が妥当とされている(早川鑑定)。

また、被告医院の施設の状況からして、被告が高度医療機関である国立病院に原告健太を転送した処置は妥当であり、転送の時期についても、被告において応急の蘇生処置を講じながら、転送に備えて原告健太の状態の落ち着くのを待ち、また転送先病院の了承と準備に一定の時間を要したことなどを考えると、原告健太の出生から国立病院に搬入されるまでに約二時間を要したとしても不当に長いとはいえず、したがって、被告に、蘇生義務違反の過失があるものとも認められない。

なお、仮に被告がより早く原告健太を転送していたとしても、前述のとおり、原告健太がすでに重篤な低酸素状態に陥って仮死状態で出生し、アプガールスコアが一点と非常に悪い状態であったことからすれば、原告健太のその後の症状にさほどの変化を生ぜしめたとはいえず、本件結果を回避ないし軽減し得たとは認められない。

4  説明義務違反について

(一) 時機に遅れた攻撃方法の主張について

原告らは、平成九年一〇月六日の第二四回口頭弁論に至って初めて説明義務違反の主張をしているが、本件訴訟の経過に照らせば、右主張は、鑑定人早川智による鑑定及び同人の証人尋問(第二二回口頭弁論)の結果、本件では、緊急帝王切開の方法による原告健太の救出が困難とされたことから、原告らは、本件結果を回避するためには、予定帝王切開以外に方法はなかったと考え、また、鑑定書に、「第一子出生の後に早剥を起こす可能性があるため、担当医師は予めその危険性を想定し、患者及び家族にも早剥を含めた合併症の危険について説明を行う義務がある」と記載されていたこともあって、被告の予定帝王切開の説明義務違反の主張を行ったものということができ、したがって、原告らの説明義務違反の主張は、時機に後れて提出したものとは認められず、また、右説明義務違反についての証拠方法は、原告らが従前主張していた待機義務違反、監視義務違反、救出義務違反、蘇生義務違反についての証拠と共通し、新たに証拠調べを必要とするものではないから、訴訟の完結を遅延させるともいえない。

よって、原告らの説明義務違反の主張は、時機に後れた攻撃方法ということはできない。

(二) 双胎の場合、第一子出生後胎盤早期剥離を起こす可能性があることから、担当医師には患者及び家族に胎盤早期剥離を含め、妊娠中毒症や双胎児間輸血症候群等何らかの合併症を起こす可能性や、第一子と比べて第二子は予後が悪いことについて説明を行う義務があると認められる。しかしながら、その際、予定帝王切開も想定して、その説明をし、かつ、患者に予定帝王切開を勧める義務があるかについては、双胎自体は予定帝王切開の適応とはならないこと、第一児骨盤位、第二児頭位などによる出生の場合には懸鉤による経膣分娩の困難が予想され、予定帝王切開をする義務があるが、本件では第一児頭位、第二児頭位であったこと(乙三)、帝王切開自体にも術中出血や感染、癒着による腸閉塞や不妊、さらに次回妊娠分娩時の子宮破裂等の合併症と0.2ないし0.9パーセント程度の母体死亡の危険があるためその適応は厳密にする必要があること(早川鑑定)からすれば、他に合併症の見られない本件のような双胎において予防的帝王切開を考慮すべきものとは認め難く、したがって、本件で仮に被告が予定帝王切開を行っていれば本件結果は生じなかったとしても、予定帝王切開について予め説明する義務が被告にあるとは認められない。

5  まとめ

以上によれば、原告健太に本件結果が生じたことについて、原告ら主張のような診療上の過失が被告にあったものとは認められない。

三  結論

よって、原告らの請求は理由がないのでいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して原告らの負担とすることとし、平成一〇年一月二六日に終結した口頭弁論に基づいて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西島幸夫 裁判官岩坪朗彦 裁判官室橋雅仁)

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